アウシュビッツ開放

流氷を追いかけてばかりでもなんですから、ちょっと真面目なお話。

1945年1月27日、つまり61年前の今日、アウシュビッツが旧ソ連軍によって解放されました。

それに伴う式典がここハンガリーでも行われました。

一見、その手のユダヤ人のお話と関係のない国に思われがちですが、19世紀には“ジューヨーク”と並んで“ユダペスト”と揶揄されるほどユダヤ人人口比率が高い街でした、ブダペストは。

色々な特殊技術や優秀さで最初はハンガリーでも重宝されるのですが、やはりどこの土地でも嫌われてしまうユダヤ人、法律によってあっという間に自由が利かなくなってしまうのでした。

で、ナチス・ドイツの悪行三昧が歴史では知られていますが、そのナチスさえびびってしまうほどの働き、つまりユダヤ人虐殺に積極的に手を貸していたのがハンガリーだったのです。

詳しくはここをご覧ください。

時代も経ったし、今やユダヤ人の方が力を持ってるし、贖罪の気持ちどれくらいあるかわからないけどブダペスト市内、地方でも様々な式典が行われました。

今回のように流氷漂う冬のドナウに数珠つなぎにされたユダヤ人が突き落とされ、多くの方が亡くなりました。

その場所にはいくつもの鉄製の靴が並べられ、当時の記憶を忘れさせまいとしております。

鉄製の靴が並べられている場所から、5番地区の区長さん花束をドナウに投げ込んでいました。

地方では元首相のオルバーンさんも式典に参加。

やはりユダヤの方々、少数でも各界に影響力があることを見せ付けてくれます。

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この記事のコメント一覧

poeko | 2006/1/30 07:23

【シンドラーのリスト】DVD鑑賞記事へのトラックバックありがとうございました。
こちらの記事、メルマガ、どれも充実した内容ですね。ハンガリーという国のことを名前しか知らなかったのでたいへん勉強になりました。
川べりにおかれた靴の写真にもはっとする思いでした。歴史の清算、というのは難しいことだしできることではありませんが、考えていかなくてはならない問題ですね。

Szagami(さがみ) | 2006/1/30 15:32

こちらこそコメントをいただきましてありがとうございます。

はじめてあの靴を見たのはドナウ河沿いを走るトラムからでした。その時、こんな身近な場所だったのか、ユダヤ人が突き落とされたのは、と。

また国会議事堂のすぐそばというのも空恐ろしい観がありました。

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